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雑記帳
・日本の国内外に存在する嘘
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日本近現代史
2015・2 28 ユーチューブ 東京国際軍事裁判からマッカーサー証言 日本独立反対した社会党 村山談話 朝日新聞 民主党 ニューヨークタイムス 安倍総理 リビジョニストについて 重要 必見  
渡部昇一「 東京裁判とマッカーサー証言」「安倍総理はリビジョニストか」
「コメント」
戦後70周年に向けて、日本人のこころに未だに残っている「自虐史観」のルーツである「東京裁判」と「マッカーサー証言」について上智大学名誉教授、渡部昇一先生が鋭く切り込みます。
「マッカーサーは最初で最大のリビジョニスト」 いま米国でよく言われている「リビジョニスト(歴史修正主義者)」について詳しく解説いただいた。
安倍首相の「あらたな安倍談話」を世界に発信し、日本の戦後を終わらせるために。
日清戦争以来・シナ共産党の日本の共産化の歩み  目から鱗
2015・10・31 ユーチューブ 最重要動画・必見 
江崎道朗氏講演会「中国共産党による対日工作」【前半】チャンネル AJER主催 2015.10.25
江崎道朗氏講演会「中国共産党による対日工作」【後半】チャンネル AJER主催 2015.10.25
「コメント」
江崎道朗氏 講演会  10月25日(日)14時〜  『中国共産党による対日工作』  〜「百年冷戦史観」試論 【前半:42分】

 
※コミンテルンの恐怖シナ共産党日本共産党の関わりが語られている。
今の日本の財務官僚は共産主義思想であると・・・戦前と現在の日本の経済環境がよく似ている。
左翼基本は嘘つきプロパガンダしかやらない。
大東亜戦争=戦前からシナ大陸侵略戦争の定義付け、シナ共産党の悪辣さが語られている。
シールズ(共産主義者)も語られている。
日本に存在する
全ての疑問が解ける動画である。
2015・5・6 ユーチューブ 注目重要動画 
平成25年08月04日「ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任」講師:江崎道朗先生
「コメント」
スタジオ日本・特別報道番組 第8弾  日本会議福岡 第9回 追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い(平成25年8月4日開催)
[趣旨]
「ヴェノナ文書」が暴いたコミンテルンの戦争責任
  ■コミンテルンのスパイを暴いた「ヴェノナ文書」の衝撃
第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では、「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。
当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。
しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。
ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。
1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。
これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(傍線は共産党員又は協力者と思われる人物。以下同じ)を始めとする二百人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ。

ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任
2012・1・24 ユーチューブ 重要 決して史実を埋めてはならない
スパイは我々の中に・・・ヴェノナファイル
「コメント」
ナシ
 
※江崎道朗氏の講演内容とヴェノナファイルが一致する。
日本人(政治家)が史実を口にするだけで、シナ共産党を始め韓国、日本の反日メディア、左翼、反日日本人が歴史修正主義者と一斉にレッテル貼りをし声を上げる。
反日アメリカメディアも同様である。
事実を知っているハズのアメリカメディアさえ今尚、共産主義者に牛耳られているのであろう。
もう一つある。
朝日新聞である。
注目すべきは朝日新聞は戦前、
日本国民に戦争を煽っている
そして、
GHQ占領下、朝日新聞の報道姿勢は一転、嘘を捏造し日本を貶め続ける。
朝日新聞の
戦前、戦中、戦後を通じシナ共産党の下部組織としてプロパガンダ報道を熱心に繰り返しているのである。
朝日新聞始め毎日新聞、東京新聞、NHK、日中友好議連、日中友好協会、シナに関わる全ての団体はシナのスパイに動かされていると言っても過言では無かろう。
ここで考えれば、何故、アメリカ政府は
過去の過ちを認め史実を元に正しい歴史と向き合おうとしないのだろうか? 
2013・7・15 ユーチューブ 
第12週1話真珠湾攻撃〜世紀の奇襲大成功!...のハズだった【CGS倉山満】
「コメント」
『じっくり学ぼう!日本近現代史』第12週大東亜戦争〜世界最強の帝国陸海軍が負けたワケ
第1話真珠湾攻撃〜世紀の奇襲大成功!...のハズだった
講師:憲政史家倉山満、聞き手:神谷宗幣
今週は、いよいよ「大東亜戦争」。太平洋戦争なんて負け犬根性丸出しの名称は行けません。
今回は、真珠湾攻撃。奇襲は大成功したものの、その後がまったくもって意味不明だった件について、、、
占領しないとか、何のために奇襲したんでしょう?

 
楽しく学ぼう近現代史!
2014・9・24 ユーチューブ 重要
なぜ、中国だけが白人側についたのか ? / 武田邦彦ブログ音声 #武田邦彦 #武田教授
「コメント」
ナシ
 
※大東亜戦争の原因シナと戦争になった原因シナの正体が語られている。
弱いシナはアジア地域の盟主であり続けたい一心から、白人側に付き大日本帝国と戦ったのか? 
”日本人共通の敵” 残酷なシナ共産党と朝鮮人(韓国・北朝鮮)
日本人は決して忘れてはならない戦後に発生した通貨事件!
「記事内容」・ウィキペディア
1946年2月3日に中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の蜂起と、その鎮圧後に行われた中国共産党軍(八路軍)および朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊、新八路軍)による日本人及び朝鮮人に対する虐殺事件。
日本人約3000人が虐殺され、その多くが老若男女を問わない一般市民だった
中国では通化"二・三"事件などと呼ばれる。
つづく
 
※武装解除された日本人が蜂起! あり得ない、恐らく噓つきシナ人の恣意的大嘘orデマだろう。
中華人民共和国はシナ大陸文化の後継国に非ず
2017・4・21 GHCテレビ 
「放送内容」
明治維新(1868年)から150年が経った現代。
欧米による侵略から逃れ、必死に近代化し、敗戦国となったにもかかわらず、世界トップクラスの先進国となったこの国日本。
  「明治維新とは何だったのか?」
  「近代化は成功したと言えるのか?」
  「明治維新で失われたものは無かったか?」
など、今回も独特の視点でお送りする日本論。
ご期待下さい!
なお、今回で生放送での番組は最終回となります!
お二方への熱いメッセージ、事前質問などお待ちしています!
  加瀬英明×馬渕睦夫『日本らしい国づくり』vol.10 明治維新から150年の日本
生放送:
2017年4月21日(金)19時〜20時30分
  出演:
 加瀬英明(外交評論家)http://www.kase-hideaki.co.jp/
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使)http://ameblo.jp/wanokuni-mabuchi/ (公式ブログopen!)
 村松えり(女優/アシスタント)http://goo.gl/1jRNfY
 運営:DHCテレビ ch2620
 ※加瀬英明氏は言論人の重鎮と言われているが、何故、ナ大陸文化を中国(中華人民共和国)と一括りにするのに違和感を覚える。
チラチラ感じた事がある。
話は丁寧だが、氏の経歴を考えると、普通の日本人と異なり、苦労を全く知らず、権威主義の中で生きた人物と思う。
シナ大陸は漢民族が統治した時代は極々少ないのが史実、しかも、建国の父である毛沢東は文化大革命でシナ大陸文化を全て葬り去った事実をどう考えるのか?
中華人民共和国は建国が1949年10月1日、歴史は僅か68年である。
しまも、清王朝時代、純粋な漢民族は極々少数に減少していたとも言われている。
有識者の重鎮と言われる加瀬氏が中華人民共和国がシナ大陸文化の後継国がごとき表現を何故するのだろうか?
これが私が加瀬氏を権威主義と認識する部分なのかも知れない。
この番組を全編観させて頂いたが、馬渕氏のご苦労を考えると、本当にご苦労様と申し上げたい。
GHCテレビには感謝しているが、余り権威主義を持ち込まず、益々日本国の国益と日本人に多大ないい影響を齎す番組を放送して欲しいと願っている。
満洲人と(シナ人+朝鮮人)は別な生物
2017・2・5 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(42)】
「アバウト」でいいのだ! 赤塚不二夫、古谷三敏、ちばてつや…みんな満州でおおらかに育った
「記事抜粋」
  「なるようになるさ」
赤塚不二夫の人気漫画『天才バカボン』のパパのキメセリフは「これでいいのだ!」。
父親が満州で憲兵や警察官をしていた関係で少年時代を過ごした赤塚の性分もどこか大陸的だ。
『ボクの満州 漫画家たちの敗戦体験』でこう語っている。
  《中国人が「メーファーズ」と言うんだよ。「しようがない」という意味。…なんでいい加減でいいのかね、と言うと、大陸育ちというのは、そういう土壌があるんだって》
  《満州育ちっていうのは、なんか適当で、アバウトで「どうでもいいや」「なるようになるさ」って生きてきちゃった…せこせこした生き方より、おもしろくて、のんびりした連中が好きなんだ》
赤塚のフジオプロで長く仕事をした古谷三敏(80)にも似た思いがある。
父親は奉天の繁華街で有名な割烹すし屋を経営。
女優の田中絹代や横綱の双葉山も来店し、繁盛していたが、店の2階で開帳していたばくちが摘発され、夜逃げ同然で北支へ。波瀾万丈の少年時代だった。
  「この時代の体験というのはやっぱり影響してますよ。何があっても動じない。(漫画の)締め切りも怖くない。生活が切羽詰まっても平気。悩み方のリズムが違うんです」
フジオプロには、満州や中国からの引き揚げ者が多かった。
北見けんいち(76)や『総務部総務課山口六平太』の高井研一郎(昨年11月、79歳で死去)、横山孝雄(79)もそう。北見によれば「まったくの偶然。フジオプロに入ったころ、『僕も満州なんですよ』と言ったら、『そこまで合わせなくてもいいよ』って大笑いされた」と振り返る。
つづく
  赤塚とちばはお隣さん  赤塚とちばはお隣さん  
中略
ちばはいう。
  「あれだけの悲惨な体験をしたことによって、吹っ切れたというか、死ぬのが怖くなくなった気がしますね。(売れないときに)どんなに貧しくたって、あのときに比べたら耐えられる、大丈夫だって思えましたから」 =敬称略、隔週掲載。
日本・幻の繁栄・日本人はやれば出来る!
2017・1・23 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(41)】
石井漠と崔承喜 李香蘭も習ったモダンダンス
「記事抜粋」
  川島芳子も大ファン
山口(大鷹(おおたか))淑子(よしこ)が中国人少女・李香蘭(り・こうらん)として、新京の満映(満洲映画協会)に入ったのは昭和13(1938)年のことである。
奉天ヤマトホテルのステージで歌っている姿が奉天放送局関係者の目に留まり、ラジオの歌謡番組に出演。
そして、「歌えるスター」を求めていた満映にスカウトされる。
だが、女優の経験などない。
演技や映画に関することはもちろん、中国語の標準語である北京官話でのセリフなど、覚えねばならないことが山のようにあった。
このとき、李にバレエのレッスンをほどこしたのがモダンダンスで人気を集めていた石井漠(ばく)である。
  《西洋バレエは当時、新京にいた石井漠氏自らがタイツ姿で、手とり足とり教えてくれた…石井先生のお弟子の吉村夫妻がデュエットの踊り方を披露してくれた。石井先生のレッスンでは私がピアノの伴奏を務めた》(『李香蘭私の半生』山口淑子・藤原作弥)
つづく
  北朝鮮から届いた手紙
中略
石井から習ったモダンダンスに朝鮮の民族の踊りをミックスさせて独創的な世界を創(つく)り上げた崔は全盛を極めた後に、夫の政治的な派閥争いに巻き込まれて失脚した。
モダンダンスで一時代を築いた石井は昭和37年1月、75歳で亡くなる。
舞踊音楽葬と銘打たれた葬儀委員長は親友だった作曲家の山田耕筰が務めた。
日本、あるいは朝鮮から満州。
さらに世界へと夢を重ねていった石井と崔。
その足跡は「坂の上の雲」を目指していた熱い時代の息吹に彩られている。=敬称略、隔週掲載。
 
※日本は満州国建国時期と昭和のバブル時期の二度、世界の頂点に立ったが、今思えば、日本人が夢幻の世界に在ったのかごとしである。
白人による人種差別さえなければ、日本は世界の頂点に君臨し、素晴らしい世界が築かれていた気がしてならない。
ハイレベルな満州国
2016・12・25 産経ニュース (1/3ページ) 【満州文化物語(39)】
「田園調布より上」だった ハイレベルな住宅…ダイヤル直通電話、水洗トイレ、集中暖房
「記事抜粋」
  「満州にこんな(立派な)住宅はないだろう」
昭和22(1947)年秋のことだ。満州から東京・田園調布の親類の家へと、引き揚げてきた天野博之(あまのひろゆき、81)=元満鉄会専務理事=は小学校の同級生から自慢気にこういわれて、ムキになった。
  「満州の自宅は、レンガ造りで、トイレは僕が生まれたときから水洗便所だった。ここ(田園調布)なんか、まだくみ取り便所じゃないか」
父親が満鉄本社総裁室や撫順炭鉱勤務だった天野は大連で生まれ、撫順、新京、吉林などで暮らした。
田園調布といえば、大正時代に開発が始まった東京きっての高級住宅街だが、駅を中心にした放射状の街など、「満州の街づくりを真似ただけじゃないか」と言いたかったのである。
実際、満州都市部の日本人の暮らしぶりはハイレベルだった。
上、下水道が整備され、ガスで炊事を行い、暖房はペチカ(部屋ごと暖めるロシア式の壁暖房で、燃料は石炭)やスチーム。
自宅に電話があり、女の子がいればピアノを習わせることも珍しくない。
天野は、日本へ引き揚げてきた満州っ子が口をそろえていうこととして、冬の家の中が寒い
  ▽便所が臭い
  ▽汽車が貧弱(内地のレール幅は狭軌、満州は標準軌を採用)-なことを挙げている(別冊歴史REAL『満洲帝国』より)。
気候では内地より遙かに寒い満州だが、堅牢(けんろう)なレンガ・石造りの家を二重窓で密閉するから室内はポカポカ。
当時の内地(日本)は木造の家がほとんど。
暖房は、火鉢やこたつを使うことが多かったから、すきま風が吹き込み、寒くて仕方がなかったという。
とりわけ、天野が住んだ撫順の満鉄社宅には、スチームによる画期的な集中暖房システムが採用されていた。
ボイラーから各戸にパイプでつながれ、コックをひねれば一年中、熱いお湯が出たのである。
つづく
 
※大日本帝国の管理能力の違いにアメリカは脅威を感じたのであろう。
大日本帝国の建築技術
2016・12・11 産経ニュース (1/4ページ) 【満州文化物語(38)】
世界レベルの建築物を残したのは 満鉄の若手社員=東京帝大建築学科卒の俊英らだった
「記事抜粋」
満州に日本人が残した名建築の数々。
それは当時の内地(日本)をライバル視するのではなく、「世界」を目指したものだった。
デザイン、アイデア、耐久性、利便性…世紀を越え、いまなお、現代中国で使われている建築物が多いのが何よりの証拠であろう。
担い手の中心は、満鉄(南満洲鉄道)の若き社員建築家たちであった。
日本の満州経営の中核となった満鉄は鉄道だけでなく、炭鉱、製鉄、ホテル、調査などの事業・業務を手広く行い、昭和12(1937)年までは、地方行政の担い手として学校や病院を運営していた。
だから、満鉄の社員建築家が手掛けた建築物も駅舎に始まって、各地のヤマトホテル、学校校舎、病院、図書館、社宅…と驚くほど幅広い。
「満鉄建築」と称される建築物だ。
日本人が“坂の上の雲”を目指し、近代国家への道を猛スピードで駆け上っていたころ、満州は日本の「生命線」であり「ショーウインドー」だった。
才能と夢にあふれた多くの若者が新天地を目指し、満鉄の建築部門にも東京帝大で建築を専攻した俊英らが続々と集まってきた。
名古屋大学大学院教授の西澤泰彦(建築史)が著わした「東アジアの日本人建築家」に興味深いデータが載っている。
満鉄設立時(明治39年)、建築を専攻する高等教育機関は東京帝大建築学科しかない。
前身(工部大学校)を含めてもその全卒業生は100人前後であり、国の建築組織以外に大卒の建築家が複数所属している組織は珍しい。
数少ない例外であった満鉄には草創期に「4人」もの東京帝大卒業生が在籍していた。
満鉄だけではない。日露戦争中の明治38年3月に東京帝大建築学科を卒業した卒業生13人中、5人が後に満鉄や朝鮮、樺太など日本統治下の外地で活躍したという。
つづく
 
※大日本帝国が残した建築物、台湾で今尚、大事に保存され使われている。
これがシナ人、これが猟奇的虐殺・通州事件
2016・10・24 DHCシアター 日本人が必ず知る必要がある事件
『やらまいか-真相はこうだ!』#19 通州事件~中国人の残虐性を知れ~

「放送内容」
生放送・収録:2016年10月6日
  #19:通州事件~中国人の残虐性を知れ~
【筋立て】
  1)通州事件 目撃者の証言
  2)誰がこの事件を歴史から隠蔽したか?
  3)加藤康男氏の現地報告
  4)通州事件を「ユネスコの記憶遺産」に
【ゲスト】
   藤岡信勝(拓殖大学客員教授・「新しい歴史教科書をつくる会」副会長・「通州事件アーカイブ設立基金」代表)
   阿羅健一(近現代史研究家)
【VTRゲスト】
   加藤康男(ノンフィクション作家/『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』著者) http://www.asukashinsha.co.jp/book/b2...
【出演】
   堤堯(司会進行/元文藝春秋編集長)   塩見和子(日本音楽財団理事長)   志方俊之(軍事アナリスト)
   日下公人(日本財団特別顧問)   福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
   馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授)
シナ・韓国・ロシアとの領土問題・アイヌ、日清戦争・大韓帝国併合
2016・10・10 ユーチューブ 重要動画 必見 
倉山満★日本は国難をどう乗り越えれば良いのか?日本人が知らない世界の歴史! #倉山満
「コメント」
ナシ
 
※尖閣問題、沖縄問題、竹島問題、領土交換~北方領土問題、アイヌ、日清戦争、日露戦争、大韓帝国併合について近現代史を倉山満が語っている。
満州鉄道
2016・9・ 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩  【満州文化物語(32)】
特急「あじあ」の機関車設計者は「キング・オブ・ロコモ」と呼ばれた男だった…
「記事抜粋」
ケタ外れのパシナ型
終戦直後、大連へ進駐してきたソ連(当時)や中国の鉄道関係者は『キング・オブ・ロコモ(機関車王)』と呼ばれた男を探していた。
世界に衝撃を与えた満鉄の超特急「あじあ」のパシナ型蒸気機関車を設計した中心人物である。
吉野信太郎(のぶたろう)。
満鉄工作課機関車係主任、工作課長、大連工場長を歴任し、満鉄が作った機関車十数種に携わった名技術者だ。
そのころすでに病身であり、昭和21(1946)年10月には、肝硬変のため50歳の若さで亡くなってしまう。
大連から内地(日本)への引き揚げが始まる直前のことであった。
パシナ型機関車はあらゆる面でケタ外れだった。
まずは巨大さ。最高時速130キロの「あじあ」を牽引するには強力なパワーを持つ機関車が必要だ。
全長25・7メートル、全高4・8メートル、動輪直径2メートル。
満炭満水時の重量は203トン。
当時、世界最大級であり、内地の東海道線で特急「燕(つばめ)」を引いていたC51やC53(いずれも動輪直径1メートル75)と比べてひと回り大きい。
  国鉄は弾丸列車で対抗  
中略
満鉄の吉野は、パシナの後もディーゼル併用で最高時速140キロの高速機関車「ダブサ」や1500キロ無給水走行可能な「ミカク」などの設計などに関わり続けた。
「満鉄特急『あじあ』の誕生」を書いた天野博之(80)は「(吉野は)早く亡くなり、知られることが少なかったが、もっと高く評価されるべき技術者だった」。
 
※この列車、シナに三両が保存されていると言う。
大日本帝国は列車名からも窺えるが、亜細亜を真剣に考えていたのであろう。
大東亜戦争から学んだ教訓は、日本は今後、決して負け戦をしてはならないのである。
通州猟奇虐殺事件・嘘の南京事件の実態(シナ人の醜い実態)
2016・7・19 ユーチューブ 最重要動画 必見 
「南京事件は4度あった」 小名木善行

「コメント」
中共がいう南京大虐殺は、ねつ造でしかありませんが、南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
これは史実です。
その南京虐殺事件は、以下の4つです。
  1 第一次南京事件(大正2(1913)年)
    張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して虐殺、強姦、略奪を行った事件
  2 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
    国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京に入り込み、城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。
  3 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
    南京に陣取った国民党軍が、日本軍がやってくるからと城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。
  4 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
    中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。
「投稿紹介」
小名木さんは、経済力もある程度あり、協力してくれる人達も沢山います 。
なのに、この動画を英訳のテロップを流す事はしていませんね 、何故でしょうか?、日本人に向けて言うのは良いんですよ、
それは知らない人もいるのだし構いません 。
でもね?、何故、これを英訳して動画として流さないんでしょうか?
 
※嘘の南京大虐殺事件はシナ人の蛮行を大日本帝国の仕業にするアメリカ人とシナ人の捏造である。
日本政府の馬鹿さ加減が語られている。
韓国の嘘の慰安婦問題、シナによる嘘の南京事件を放置し日本人が大迷惑を蒙っている事態と大日本帝国政府が執ったシナに対する姿とダブって見えるのだが・・・
投稿にある様に是非、英語とシナ語に翻訳し、テロップを流して欲しいですね!
日本人の偉業
2016・6・26 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(26)】
3億円で買い集めた歴史的に貴重な本の数々 大連図書館が中国の古書籍を収集したのは…

「記事抜粋」
松岡洋右(ようすけ=元外相)は満鉄と縁が深い。
理事、副総裁を歴任、昭和10(1935)年には総裁として満鉄に戻っている。
副総裁時代の4年、松岡は気前よく10万円(現在の価値で2億~3億円)を図書購入費として特別に支出し、満鉄大連図書館長の柿沼介(かたし)を北京へ派遣する。
目的は、政情不安が続く中国で散逸の恐れがあった漢籍(漢文で書かれた中国の古書籍)の収集だった。
このとき、松岡は柿沼に「いずれ満州に東洋の学問を基調とした大学を創設したいので今のうちに漢籍を集めておきたい」旨(むね)を伝えている。
それは形を変えつつ、13年、新京(現中国・長春)に創設される建国大学となって結実する。
つづく
  『四庫全書』の危機  独立王国の面影なく
中略
衛藤に引導を渡したのが30代だった調査部第一資料係主任の石堂清倫(きよとも=戦後評論家)だった。
石堂は奉天・ハルビン図書館の学術的価値の高い図書館を大連図書館に集中させる案を立て、自ら衛藤に通告する役を任されてしまう。
  《調査部にしてみれば図書館を厄介払いしたいのである(略)難中の難事は奉天の衛藤利夫館長の身分をどうするかということであった(同)猫の首に鈴をつけにゆく人は皆無…仕方なく青二才の私がのこのこと出かけることになった》
(石堂清倫著「わが異端の昭和史」より)
事実上の解雇通告に衛藤はあっさり、本と一緒に館員も引き取ることを条件に応じた。
やがて柿沼と衛藤は相次いで館を去る。
2人の図書館人は戦後、国立国会図書館や日本図書館協会で活躍。
彼らが育てた満鉄図書館の人材も日本の多くの図書館で息づくことになる。
     ◇
  永楽大典 
明代に編纂された中国最大級の類書(百科事典のようなもの)。
約1万1千冊からなるが、多くは失われ、現在に伝わるのは日米中などに約400冊とされる。
  四庫全書 
清朝の乾隆帝が編纂を命じた中国最大の漢籍叢書(そうしょ)。
経・史・子・集の四部分類からなり総数は約3万6千冊。
現存するのは台湾の故宮博物院、中国・北京の国家図書館など。
文溯(そ)閣本は中国・甘粛省図書館にある。
 
※シナ共産党がつづく限り、シナにある古書がシナ人民に役立つ事はあるまい
日露戦争の戦費調達
2016・6・13 産経ニュース (1/3ページ) ロンドン 岡部伸 【日露戦争秘話】 原本写真掲載あり
日本の戦費調達を支援したのはキャメロン英首相の高祖父だった! 銀行家として高橋是清から真っ先に外債引き受け…

「記事抜粋」
キャメロン英首相の高祖父(祖父母の祖父)、サー・ユーウェン・キャメロン氏が日露戦争の戦費調達で日本を積極的に支援していたことが明らかになった。
氏は、香港上海銀行ロンドン支店長として開戦前から融資案を作成し、横浜支店を通じて日本政府と独占交渉するなど、日本の外貨獲得に奔走していた。
背景には日英同盟があった。
中略
欧州連合(EU)からの離脱機運の高まりで苦境に立つキャメロン首相だが、日本との深い縁(えにし)が浮き彫りになっている。
英国立公文書館とベアリングス文書館所蔵の電報や書簡によると、キャメロン氏は開戦前年1903年10月、ランスダウン外相から要請を受け、名門のベアリングス銀行と協力して同盟国の日本への融資の検討を開始。
04年1月、横浜支店長に「税収入の担保が得られ、適度な額であれば外債を引き受けるべし」との電報を送り、同2月には、1千万ポンドを年利6%、発行価格85ポンド(額面100ポンド)、期限10年という引き受け案を作成して横浜支店を通じて日本政府と交渉した。
中略
日本の戦費調達にキャメロン氏が救いの手を差し伸べた理由について、香港大学のフランク・キング教授は、「アジア市場拡大を狙う商業銀行として同盟国、日本への投資に強い意欲があった」と分析している。
 
※イギリスは当時、大日本帝国がロシア帝国に勝利するとは思っていなかったと推測できる。
もし日露戦争に大日本帝国が敗れる事あらば、ロシア帝国の植民地、今の日本は無い。
今の日本、平和ボケした反日政治家が多い中、日本の政治家にこれだけの覚悟は無い
日本人の悲劇と誇り高き大和民族
2016・5・1 産経ニュース (1/7ページ) 原田成樹 【日本列島災害実録】 重要記事 必読
英船ノルマントン号
の沈没(上)白人船長らはなぜ日本人乗客25人を見捨てたのか…
英船ノルマントン号の沈没(下)日本人を船倉に閉じ込めた疑惑は晴れず…再審で船長有罪も不満は募る (1/12ページ)
「記事抜粋」
  (上)
明治19(1886)年10月24日午後7時ごろ、横浜港から神戸港へ向かっていた英船ノルマントン号(1533トン)が和歌山県大島沖で暴風に流され、潮岬の暗礁に座礁し、沈没した。
乗組員39人のうち水夫12人と日本人乗客25人が溺死したが、船長と乗組員26人ははしけ(救命ボート)に乗り移って生還した。
乗客を溺死させながら船長らが生存するというと、死者・行方不明者300人以上を出した2014年4月の韓国フェリー「セウォル号」事故をほうふつとさせる。
沈没時は一体、どういう状況だったのか。
「ノルマントン号事件」とも呼ばれる日英の国交問題にもなった大災害を、当時の新聞記事から振り返る。
時事新報は、転覆があった日から6日後の30日付で報じている。
「ノルマントン号 同船は本日の電報に見ゆるごとく紀州沖にて沈没したるよしなるが、電報には乗組員14名のほかは残らず溺死せしとあれども横浜よりの別報に乗組員にはけが人なしとあり、いずれの事実なるや未詳ならむ」。
まさに速報のみ突っ込んだ形だ。
翌11月1日付になり、ようやく全貌が見えてくる。
  「救助を拒む日本人」
  「いよいよ船体が沈もうというとき、船長が『一人残らず、はしけに移れ』と号令をかけたが、日本人はまったく聞き入れず、逆巻く波に打たれながら一同甲板の上に寄り集まって船長をはじめ手を尽くして何とか救助しようとするも、ついに23人の乗客を見殺したのは言語の不通によるものだが実に無残です」
  「そうこうするうちに1時間半がたち、本当に沈みそうになったので、水夫はやむを得ずはしけにのって本船を立ち去った。1人の水夫長は乗り組み人を救おうと本船に残されたが、最後には覚悟を決めて浮輪を身につけ飛び込んだ。不思議にも、彼は24時間ほど波にまかせて漂流し、翌朝、一艘のはしけが発見して救い上げ、大島の灯台のそばに漂着。他のはしけも、同島近傍に漕ぎ付いた」
  はしけに移った方がいいと分からない訳がない
この日の記事は次のように結ぶ。
  「しかし、同船に乗り込んだ日本人23人がことごとく無神経な訳がない。こうした場合、はしけに乗ることは本船に残るよりも安全であることが分からないはずもないので、乗組員がこれをはしけに移そうとしたのを承諾せず溺死したなどというのは信じられない。ただ、いかんせん死人に口はなく、日本人は一同すでに海底の藻くずとなってしまっており、今、それを訴える方法がない」
  「最後に船を去るべきが船長」
時事新報は6日付社説でこの不可思議な事故に疑問を投げかけている。
  「難破船の場合に、最後に船を去るべき者は船長なるのが世界の通法にして、これをしらざるものはない。実際、そうするのが普通であり、もしもこれを知らない船長がいたら再び社会には戻ることはできない。ただ、西洋の法律は東洋に適用すべきではなく、東洋人は一種の下等人類であり、礼を失し、情を失い、危難の場合に見殺しにしたりとしても人間の道に違う所為といってはいけない。ことに外国船で日本沿海で旅客を運送するものは、船客として日本人を乗せるものではなく、一種、生き物の貨物と考えて船倉に積む。運賃も安く、取り扱いも乱暴無情で船長の眼中には旅客あると認めてもいない」
「たまたま風雨が変われば、生類の貨物のある入り口に外から鍵をかけて船員の妨げにならないようにし、結局沈没するとなっても鍵を開けて命を助けるなどとは思わず、自分たちはゆうゆうとはしけに移り、浮袋を肩につけて遠くへこぎ出す。ノルマントン号の難破もまたこの一例に過ぎないのではないかという話があるが、今日のところはまだ断言できない。しかし、ともかく十分に不審の念があり、不快の感覚がある」
時は明治19年、日本では西洋人を見るのも珍しかった時代だ。
日本人乗客はどうして英国人乗組員の指示に従い救助艇に乗らなかったのか、それとも貨物のように見殺しにされたのか。
  (下)
前略
この悲しき気持ちは、「ノルマントン号沈没の歌」(無名作詞家)として広く国民の間で語り継がれた。
日英間の不平等条約は、8年後の1894年、日英通商航海条約締結により撤廃され、領事裁判権もなくなった。
是非、全記事をご覧あれ!
 
※この事件、この記事で初めて知った
全くやりきれない事件である。
(上)冒頭の記事内容
最後の時事新報の記述内容に大きな食い違いがあるが、今となっては調べようも無い。
しかし、当時を考えれば・・・有色人種である
日本人乗船客は船倉に積むと記載されている通り、イギリス人は人種差別をしたのであろう。
白人ならやり兼ねない。
この記事を読み、串本沖で難破したトルコ海軍のエルトゥールル号の海難1890事故、暴風の中、日本人はトルコ海軍乗組員を命を危険に曝しながら救助。
1942(昭和17)年2月27日、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合部隊の海戦、連合部隊の15隻中11隻は撃沈、4隻は逃走、3月1日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の
巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員4百数十名は漂流を続けていたが、翌2日、生存の限界に達した所を日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」が発見、全員救助
英船ノルマントン号の沈没事故とエルトゥールル号の海難事故、イギリス人乗組員4百数十名救助、この違いは何なのだろうか?余りの違いの大きさに驚いている。
2015・9・6 産経ニュース (1/3ページ) 石崎慶一 【郷土偉人伝】 
林子平 黒船以前から「海防」を説いた仙台藩の先覚者
「記事内容抜粋」
江戸の日本橋より唐(から)、阿蘭陀(オランダ)まで境なしの水路なり-。
江戸時代後期、仙台藩ゆかりの思想家、林子平(はやし・しへい)(1738~93年)が著した「海国兵談」の有名な一節だ。
四方を海に囲まれた海国の日本では、海辺の防備が急務であると、海防の必要性を説いた林子平。
仙台市青葉区のJR仙山線東北福祉大前駅から徒歩で10分ほどのところに「子平町」がある。
中略
同博物館学芸員の佐々木徹さん(41)は「江戸時代、海外との情報や物資の流通の窓口は長崎の出島などに限られていた。
そうした中で子平は長崎に足を運び、積極的に海外の情報を取り入れた。
国際情勢を認識することが、日本の行く末を左右するという考えがあったと思う。
広い視野でものを考え、問題提起した人物が仙台藩にいたことを知ってほしい」と話す。
同博物館の庭には、伊達政宗胸像や支倉常長の碑などとともに林子平記念碑が建っている。
 
大分は例外の有難迷惑である国賊・村山富市が余りにも有名だが、日本の役に立った多くの学者がいるが、既に埋もれてしまった感がある。
時を見て取材をしてみようと思う。
2015・8・6 ユーチューブ 重要・注目動画
【8月6日配信】特別番組 本当のことがわかる昭和史 渡部昇一 倉山満【チャンネルくらら】
「コメント」
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●半藤一利氏の『昭和史』の誤りとは?
●近衛文麿とオバマの共通点??
●ノモンハンは日本の大敗北ではなかった?
●サンフランシスコ講和条約(日本の独立)に反対した勢力とは?
●社会党~民主党政権誕生を支えた勢力は、戦後✕✕で大儲けしたあの人たち!!
●野田元総理は退陣するとき△△に挨拶に行った!
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●なぜ226事件で高橋是清は暗殺されてしまったのか?
●真珠湾攻撃は「チョーキング&パンチング」であることをアメリカ人は知らない!
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今月の単発スポンサー特典は「財務省ダービーフリップ集」です。
山村明義先生とかしわもちさんと倉山満でお送りしている財務省ダービーも皆様のご支援のおかげもあり、ついに第3弾となりました。
 
※26分過ぎから、在日(悪党)と日本社会党(悪党)の関係が語られている。
嘘つき元村山総理の基礎であろう。
嘘で塗られた日本の近現代史、事実を知ろう日本人! 

2015・7・4 産経ニュース (1/4ページ) 溝上健良
「米空母乗員は戦艦三笠に塗装した」と米司令官…ロシアと戦った雄姿今も、集う人々20万超
「記事内容抜粋」
戦後70年の今年は、同時に日露戦争からの戦後110年でもある。
旧海軍記念日の5月27日、神奈川県横須賀市の記念艦「三笠」で「日本海海戦記念式典」が開かれ、米海軍の軍人や海上自衛官らも参列して歴史的な大勝利を回顧した。昨年度は44年ぶりに来艦者数が20万人を超える大盛況。
ロシアと戦い、米英の尽力で復活した三笠は、平成の老若男女の前で威容を誇っている。
  世界史における金字塔  ニミッツ提督の尽力
中略
多くの人の尽力があって、三笠は艦首を皇居の方角に向けて横須賀の地に鎮座し、来艦者を待っている。
最近は人気ゲーム「艦隊これくしょん(艦これ)」の影響で、海外からも“聖地巡礼”に三笠を訪れるファンが多く、来艦者数を押し上げている。
今春、JRの上野東京ラインが開通したこともあり、三笠保存会は広報活動を強化している。
担当者は「北陸新幹線開通の影響もあり、北関東や北陸方面からの来艦者が今年度は増えている」と話す。
 きょうも三笠のマストには「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」との決意を示すZ旗がはためき、三笠公園の東郷平八郎連合艦隊司令長官の銅像は遠く対馬海峡を目指してやってくるバルチック艦隊ににらみをきかせている。
 
大日本帝国は日露戦争に勝利し世界に羽ばたいた。
この事象を日本の夜明けと言う。
2014・6・27 ユーチューブ 
宇野正美講演会080926
「コメント」
国際時事講演会
世界大恐慌と核戦争が起きる
 
宇野氏の正体は不明だが、大東亜戦争と一度も言わない。
そして経済音痴、経済の話は信じてはならない。
日本弱体化を狙う関係者かも・・・
日本人とユダヤ人
2014・3・19 ユーチューブ 
ベン=アミー・シロニー教授 「日本の強さの秘密を探るー日本とユダヤの深い関係」ロングバージョン53分
「コメント」
シロニー教授は1937年ポーランド生まれで、ナチの迫害を逃れてソ連に移住、難民生活を経て1948年にイスラエルへ帰還しました。
イスラエルのヘブライ大学東アジア学科教授となり、毎年500名を超える学生に日本の歴史と文化の講義を続けられ、現在はヘブライ大学名誉教授として両国関係発展のために尽力されています。
シロニー教授は長年の功績がたたえられ2000年に勲2等瑞宝章を授与されました。
 
※幕末から明治維新を成し遂げ昭和の時代へ、そして大東亜戦争を闘い激しく動いた日本である。
この約80年の激流を乗り越えた日本人と戦後の日本人を比べると、経済発展を成し遂げたものの、日本人は何か忘れ物をしている気がしてならない。
忘れ物とは「大東亜戦争の総括」なのかも知れない。
2013・8・28 ユーチューブ 頑張れ日本!全国行動委員会
倉山満先生講演会『国難を乗り越えた先人たち』平成25年8月25日 1/2
倉山満先生講演会『国難を乗り越えた先人たち』平成25年8月25日 2/2
「コメント」
頑張れ日本!全国行動委員会岡山主催で、倉山満先生の講演会を行いました。
2013・7・8 ユーチューブ 
倉山満さん「日本人は本当の世界史を知れ!!」驚愕の事実
「コメント」
倉山満先生によるわかりやすい世界史の講座
日本人が知らない本当の世界史 そうだったのか!!
義務教育とはなんだったのか。驚愕です。
2013・4・29 ユーチューブ トレーラー 
第1週1回日本人にとっての世界史【CGS 倉山満】
「コメント」
CGSです。いよいよ始まりました『じっくり学ぼう!日本近現代史』
今週は、世界史の中の江戸、と言うテーマでお送りします。
日本人にとって近現代史とはどこから始まるのでしょう? ペリー来航が象徴的ですね。では、この講座もペリー来航から始まるのか?と言われれば・・・
日本だけ見ていても、日本のことは分からない!
世界と日本、切り離せないこの関係を順を追って見ていきましょう。
講師:憲政史家倉山満、聞き手:神谷宗幣
2012・9・6 ユーチューブ 
【特対】嘘だらけの日米近現代史(前編)①倉山満・藤井厳喜 AJER2012.9.6(4) (1/4)
「コメント」
【特別対談】第3回『嘘だらけの日米近現代史』
藤井 厳喜氏
倉山 満氏
2011・1・7 ユーチューブ 宇野正美 必見 
黒幕 1/6
黒幕 2/6
黒幕 3/6
黒幕 4/6
黒幕 5/6
黒幕 6/6
「コメント紹介」
近衛文麿はスターリニストで、子供をソ連に留学させた。
ロシア国境を防衛していた陸軍に謎の砲撃が中国方面から続き、8時間後に突如近衛文麿が中国に宣戦を布告した。
ルーズベルト政権内にソ連系のコミュニスト300人にいた。
ルーズベルトは、蒋介石に数兆援助し、簡単に収束するはずの支那事変を長引かせた。
その後のABCD包囲網、ハルノートの改ざん(実質的な宣戦布告)、ベノナ文書と日本を戦争に引き入れた・・・コミュニスト(スパイ)とロスチャイルドを頂点をするユダヤシオニストがここ250年間の歴史を誘導してきたのは確かであろう。
 
宇野氏の正体は不明だが、大東亜戦争と一度も言わない。
そして経済音痴、経済の話は信じてはならない。
日本弱体化を狙う関係者かも・・・